ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

久しぶりに高校野球

を見ながら、ひたすら魚網を磨く。通算で2時間位磨いたろうか。

磨く前。

磨いた後。

凹んだ傷などを棒やすりで削れば完ぺきなのだろうが、また焦げは堆積するだろうし、こんなところで終了としたい。

読者の方がいらしたら、何やってんだ、しょうもない事書いてんなという話である。

ふと昔のことを思い出した。

15歳から約6年間、文通というものをやっていた。相手は転校前の中学の同級生の女子である。今思うと現在以上にしょうもないことを書き連ねていたような気がする。受験勉強の合間にもずっと書き続けていた。相手も良く付き合ってくれたものだ。明け方まで書いて、あまりに人が読んだらつまらない事に気づき、捨てて送らなかったことも多々ある。

実は彼女は俺の初恋の人だった。苦しい片思いである。転校後様子を尋ねる手紙が来た時には天にも昇る嬉しさだった。しかし恋心を必死に押さえながら文通を続け、ついに一度も告白することはなかった。彼女が現役で大学に入り、サークルの先輩と付き合う様子が伝わり、文通、そして片思いは終わりを告げた。

最後に会ったのは新宿駅。大学へ入学し、山のサークルへ入った俺は合宿の帰り、松本からキセルをするために新宿のJRから小田急の乗り換え口前通路に座って始発の改札が開くのを待っていた。そのころ小田急の始発は無人で、乗り換えと経堂の出口も無人だったので、サークルの手法に従い、夜行から乗り換え松本から経堂まで120円で帰ってくる予定だった。

その時、見まごうことのない彼女が通りかかったのである。千葉に転居した彼女は大学に通うため、始発の小田急に乗りに来たのだ。久しぶりと声をかけようとした瞬間、彼女は汚い山屋の連中をみて、顔をしかめて通り過ぎたのである。仲間の前で女の子を追いかけるなんてできず、そのまま見送り、ああ終わったな、と感じた。

文通を始めた頃、同じ転校元でもう一人の同級生女子からも手紙が来ていた。この子は初めから俺を好きだろうということが文面からすぐわかった。その頃だけは純情だった俺は、返事を書くこと自体が彼女に思いを募らせ、かえって苦しめると信じ、返事を1度も書かなかった。今思えば酷なことをしたと思うし、返事を書けば情が移って両想いになったかも知れなかったなあ。ちょっともったいなかったかも。

このようにブログには何を書くかわからないので、時々はチェックしてみた方がいい。個人名は出さないが、読んでいるあなたの事が公開されるかも。