ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

なぜ旅に

出るのか。今日は大した写真もない(いつもないけど)ので、旅の話をしたい。

原因は家庭環境のせいだろう。自衛隊員の子に生まれたので、転勤は頻繁にあった。

生まれは世田谷だが、小学校に上がる前にすでに引っ越しをしていた。逗子にいた記憶がある。父は防衛大学で講師もしていたらしいので、その関係かも知れない。横須賀線のトンネルが近くにあり、フラフラ入って行って暗いので引き返したが、電車が来ていたら確実に引かれていたろう。

小学校は12年が帯広、34年が熊本、56年が文京区だった。周囲に自然はいっぱいあったし、悪ガキにいじめられたこともある。でも3回くらい定期的に引っ越していると慣れっこになって、またかと思うぐらい。引っ越しの度に荷物は段ボール一つと決められていたので、子供のころから保管しているものは皆無である。

中学校も3か所行った。文京区と練馬区江東区江東区で初めて下町文化に触れて、いじめもあったし、先生がすぐ殴るのが新鮮だった。高校までしばらく千葉の松戸に住んでいたが、受かった大学が東京農大で世田谷区のため、通うのが大変だろうと姉の家に間借りすることになった。その頃姉の夫婦は景気が良く、最初は渋谷のすぐ裏手の松濤に住んだ、のちに中目黒に行ったが。

父は松戸の公団に飽きたのか、次男の事をいたわってくれたのか、昔住んでいたことのある世田谷桜新町に引っ越す。大学には歩いていける距離である。大学時代は近所の自転車屋さんと知り合いになり(今も健在である)一緒に東北を旅したこともある。社会人になっても北区上中里まで246と明治通りを自転車で通勤した。

結婚を機にどこへ住もうかと思っていたら、新宿区の中井に義母のアパートがあり、底の集金などをしてくれたら家賃を安くするとのことで、そこに決めた。線路に接していて始発から終電まで電車が通ると会話ができないところだった。

長男が生まれて嫁の実家に入ることになり、大泉学園へ。今までで一番長い住まいになった。もう25年くらいか。

仕事のせいもある。住居は大泉だが、仕事はあちこちである。新婚1年目で仙台に単身赴任、阪神淡路大震災で家族全員で明石へ。明石は住みやすいところで、海も近いし、通勤も復旧すると東西区間を私鉄と競争しているJRは時速120kmで走るおかげで西明石から神戸まで20分で通えた。ただ関西人は仕事にはシビアである。住むにはいい所だ。

その後東日本大震災で岩手大船渡へ単身。仕事漬けの毎日だったが、休日は足を伸ばし、プジョーと自転車で東北3県を結構巡った。岩手県道の駅スタンプラリーで51駅全部を回ったこともある。この前一緒に温泉に行ったU君はその時の仲間である。

昔話ばかりになってしまった。旅が好きなのは、動いて見て回るのが好きだというのが原点かな。知らない自然の景色を見てみたい。あえて言うとグルメと宿は二の次なのである。これに日本沿岸自転車完走の目標が加わったので、ルートは非常に限定的となる。まあキャンプは飲み会の一つなので、また別だが。