ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

死について

最近はあまり考えることが少なかったように思う。だが友人の訃報を聞き、再び意識し始めたのか、夢に亡くなった両親が出てくるなどの過去の感情が現れるようになった。

小学5年頃、自分が死ぬのがとても恐ろしかった時期がある。自分がこの世から永遠にいなくなってしまうのが怖くて夜寝付けなかったことが何度もある。

人生の終盤に差し掛かった今、自分の存在がこの世から消えてしまうことに怖さはない。大病を患ったことで幸い死と密接に向き合った事もないし、守るべき家系の伝統もない。達成しなければ公開する偉業もあるわけではない。(沿岸日本自転車一周は趣味の範囲であって偉業ではない)俺が生きていた証しなど10年もすれば無くなってしまうだろう。親族や友人の記憶には残っているかもしれないが、それさえ30年も経てばその人誰?という事になるだろう。

死ぬのは不便だ。やりたい事ができなくなるから。だが最も不便なのはやりたいことを思っているのにそれができないと自覚する期間だ。脚が動かなくなったら、目が見えなくなったら。その方が死ぬよりずっと苦しい。俺はもし失明したら、自殺するかも知れないほど恐怖だ。

認知症は本人にとっては天国だ。何も悩む必要はない。介護する側は地獄だろう。家族その他の人のため、そうならないよう努力はするが、なってしまったら本人は悩みなどないので、なることに恐れはない。

自分が家族又は他人に負担をかけることにはできるだけ準備してきたつもりだ。火災保険は自分の家は再建できないまでも隣家の被害には対応する保険に入り、認知症になった時に一時金数百万円が出る保険にも入った。(財産が残せる人はそれでOKなのだが、こちとらそんな財源はないので)家族にとって一番負担が少ないのは自転車で車にはねられ、多額の保険金で家族に遺産が残るケースだろう。本人は一時痛いけど。

旧姓の山内家は私らの代で断絶する。父が言っていた。俺が養子に行く時に本心かは分からないが、この世のどこかで血筋を受け継ぐ人がいればいいと言ってくれた。姓など少子化の日本、無くなる姓は数多くある。元々江戸時代は姓などなかったのだから。(一説によると、土佐の山内容堂の家系かも知れないと聞いたことはあるが、真偽は定かではない)養子に入った牛山家は今のところ存続するらしいが、どうでも良い。

今までの葬儀で一番印象に残っているのは実父の葬儀だ。無宗教でとの遺言があり、イベントスペースに父の好きだったゴルフクラブと釣り竿が飾られ、音楽は彼の好きだった(とその時まで知らなかった、海軍時代に船上で聞いていたらしい)美しく青きドナウが流れていた。親族を代表してお別れを述べたのは俺。18歳くらいの時に唯一父に殴られた思い出を披露し、世界で一番尊敬するのは父だと告白した。わけのわからん坊さんの読経よりよほど胸に響いた。自分の葬儀はやらんでもいいが、こんなお別れ式は素敵なので許そう。そのためには選曲しとかなきゃな。

さて、惜別の思いを込めて友人の通夜には参列しよう。ただ正直言って本人及び家族に非常に失礼ながら、葬儀を通じて同窓会の体になることを期待している事も否めない。実父は90代まで生きたので、友人その他関係者の葬儀には晩年は出なくなった。悲しいが再会する知り合いも少なくなり会話も何もできないので虚しいと漏らした。I君、友人はいっぱい来るよ。君の事覚えている人たちばかりだよ。安らかに。