ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

友情の継続とは

俺は2種類のグループに所属している。一方は小学校からの縁繋がり、他方は元の勤務先からの付き合い。

小学校からのグループは俺から見て継続を努力していると思う。長年永年幹事を務めている人の努力も大きい。リストも管理しているし、次期幹事についてご指名し、引きついでいく体制も確立した。アドレスを更新し、一斉配信に備えるサポートをする人もいる。頭が下がる思いだ。会合にはスケジュール表をセットし、バラバラな各自の予定を調整できる。

一方、会社関係の方は、ゆるゆるである。忘年会やりまーすと発起人が立ち上げれば、参加しまーすは返ってくるが、発起人が日取りを決めたのに、レスがない。コロナや年末のことを考えると早めに決めておかねばならないのに、「未定だけど、行ければ行く」というスタンスなのだろう。言い出しっぺも「私が行けなくても開催してくれればうれしいです。誰か幹事をやってください。早く日を決めましょう」具体的に物事を進展させたいならこの発言が次に進むのかどうかわかっていないようだ。

業を煮やして予定表を作り、期限までに予定の書き込みが一定数を超えるなら幹事代行もやりますと発言した。

元々グループ会議室を閲覧していないならともかく、参加表明をしながら予定を知らせないような輩は幹事に失礼と思わないのか。そんなゆるゆるグループの幹事をやる気はない。

友情は幼馴染など特別な関係を除き、培っていくものだと思う。多少手間がかかっても継続してアクセスし、メッセージが投げられたら大変でもレスする。それが基本ではないかと俺は思う。

年を食って価値観が固まり、他人の生き方にケチをつけるようになったのかも知れない。多様な生き方があるので、否定したくはない。自分が常識と思っていても、他はそうでないかも知れないのだ。息子にも価値観を押し付けすぎたかも知れない。

ただ、友と呼びたい人は自分が何らかの点で尊敬できる人であり、継続をしたいし、その努力もする。何も継続の努力をしない人に無理やり合わせる必要はないと思う。