ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

南青山及び西日暮里

日曜日は南青山まで。恐らく35年ぶり位。

自宅近くの自衛隊沿いは晩秋の雰囲気。

表参道駅を出ると見慣れぬブティックなどが立ち並ぶ。曲面ガラスのショーウインドーはコムデギャルソン、赤白の菱形ウインドウはプラダ、目的で来る人にとっては浮き浮きする街なのだろうが、客としては縁がない。

45年前位に姉が嫁いだ新居がこの辺りだったらしい。元デザイナーで、生活は派手だったのかもしれないが、その頃は縁遠い存在だった。姉はその後渋谷区松濤町、中目黒と転居した。松濤は大学の一時期下宿した。文部大臣の家や能楽堂などがあり、すごい所に住んでいるのだとは感じたが、俺は大学に行くのに便利としか思わなかった。自転車で東大を裏門から正門へ通り抜け、駒場東大前から通った。「東大に裏口入学」の毎日だった。

南青山に行ったのは、岡本太郎記念館に行くため。戦後のアトリエ兼自宅がここにあった。すぐ近くは根津美術館である。竹で囲まれているなかなかの風情である。

記念館に到着。出身の川崎にも記念館はあるが、美術館らしい佇まいらしい。ここは自宅を改装したのでこじんまりしている。

庭には大きく育った芭蕉と「顔」がお出迎え。

入館すれば、当然「爆発」に囲まれるのだが、自宅であることで、本人の生活を覗き見たいという関心が先立ち、心静かな鑑賞となった。

なぜか太陽の塔は背中を向けている。

外国で長い間発見されなかった壁画の破片を拾い集めた展示が印象的だった。

アトリエは予想以上に小さく、多分改装される前の一部だったのだろう。それともこの小さい空間から広く宇宙に向けて夢想したのだろうか。

居間がまた関心を引く。生活していた当時はこれほど作品が部屋にあふれていることはなかったろうが、制作とは無縁の静かな部屋ではなかったろう。ずっとエネルギーを充満させて、疲れることはなかったのか。

昼食の時間調整のために太田記念美術館に寄る。浮世絵をコレクションしていた太田氏の個人コレクションだ。同行した友人は岡本ショックから浮世絵で感性の切替ができなかったという。やはり今でもそれほどのインパクトがあるのだ。再来週予約した都美術館の岡本太郎展が楽しみだ。

恒例のミュージアムショップでの買い物。

友人は何が入っているかわからない5択のフィギュア。

俺は最近はまっているタオルハンカチ。

昼飯は新宿三丁目でタイ料理。各人それぞれ別で、ガパオライス、焼きそば、エビチャーハンである。

その後お茶して歓談し、午後3時ころ解散。結構歩いたので、アキレス腱に響いた。

翌日は予約していたカイロプラクティクに。腕の肌の色がとても良くなったというが、9月のサイクリングで思い切り日焼けした俺にはわからん。ただ、先々週よりは腕が痛くて目覚めるという事が無くなった。長い治療になりそうだが、1回¥5000は懐が痛い。

昼時だったので、前回目をつけていたラーメン屋に。

自家製にこだわった極太ちじれ麺と魚だしのつけ麺。面もつゆも好みである。これをモチベーションとしてしばらく通うことにしよう。他にも肉餃子発祥の店とか行きたい店は幾つかあるのだが。