ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

土日はお出かけ

まずは土曜日。 上野の都美術館でやっているキリコ展に行く。 友人にシニア券でと言われていたのに、一般券を買ってしまって¥2200。 1000円損した。 まあこちらは金持ちなので、システムに文句も言わず許してやろう。 観覧後、水道橋に移動して昼食。

予約していた個室居酒屋でインドカレーを食う予定だった。 が、1時間前位に電話があり、1時で予約してあるが、開店は5時との事。 最初日本語が解らず、困ったが、要は店側でキャンセルしたいとの事らしい。 食べログで開始時刻指定したのに、受け付けられる方がおかしい。 インド人もビックリ。

食後歩いて神保町へ向かう。 浪人時代は予備校のあと、古書店街へ行き、パチンコをしてたばこ代を稼ぎ、喫茶店で時間をつぶしたものである。 当時一緒に予備校に通った高校の同級生たちは、俺よりはまともな暮らしをしているだろうな。 頑張れ。 

登山用品店は未だいくつかあるようだ。 自転車用に半世紀前の自転車ツーリストの定番、ニッカポッカというタイプのズボン(7分丈でロングソックスと併用)を探したが、絶滅したらしい。 3年前はまだあるとの写真が出ていたが、今やゴルフ用品にしかないらしい。 ゴルフ用はウールでなく、薄手なので北海道に向かず、困る。 あきらめるしかないかも。

古書店を少し徘徊、疲れたのでコーヒーショップで休憩後、解散。 社長はまだ古書店街を散策するらしい。 俺は美術展と神保町散策で疲れたので帰宅する。

久しぶりにニコライ堂を見た。 浪人時代は目にも留めなかったが、改めて見ると歴史の長さはすごい。 古関裕而東京ラプソディーにも「ニコライの鐘は鳴る」とある。

続いて日曜日、7年ぶりの小学校クラス会があるので池袋へ。 55年経ったのに、15名が集まった。 恒例のS氏の手品披露は見事に決まったので拍手喝采

近況報告を聞くと、さすがに67歳では現役の人は少なく、孫や病気の話題が多くなった。 俺は孫もいないし、介護する親もいない。 遊び呆けるだけだ。 責任のない生活は良いのか、悪いのか。

でも、ブログを書き続けるとテーマが次々生まれ、やるべきことが尽きない。 これはこれで良かろう。 飽きるまで続けよう。

二次会は 会話が一堂にできる店が居酒屋では無理という事でカラオケ店へ。 皆カラオケなど久しぶりなので、最初はためらっていたが、だんだんノリノリになってきた。 3時間はあっという間に過ぎ、最後は校歌斉唱で締め。

70歳になったら楽器で校歌の伴奏しまーすと宣言したが、出来るのか? 楽器は既に入手済みだが、触れてもいない。 そんな先の事わかるかよ。 生きているかどうかもわからんし。

ポンプ入れの製作、

宿題1件目、ポンプ立てを作る。傘立てのような形状で、灯油をタンクに入れるポンプを立てる。

材料はほぼ1×4材で、一部サイズ調整のために5㎝幅の板も切る。長さを正確にそろ得ないと見栄えが悪いため、丸鋸で慎重に切る。側面の板が揃ったら、2枚ずつ横に接合する。倒れないよう重心を下にするため、底板は2×4材なので、側板との接合は長いネジも考えたが、鉄のL字金具があったので、底面で接合する。

側板どうしを木ネジで接合しながら側板3面を留める。

問題は4枚目。最後のL字を底板に停める時。深さが41cmもあるので、通常のドライバーでは留められない。電動ドリルに延長アダプタを利用して何とか留める。

まあ何とかなった。中古材のため経年変化で色は様々だが、依頼主は塗装が得意なので、上手く仕上げていただこう。

 

次に、さらに大型のゴミ箱に取り掛かる。

家の在庫は大判の板がないので、1×4材12個をポンプ立てと同様横につなげて側面を作る。同じ型の物を2個所望なので、側面の1×4材だけで24本必要になる。この数を全て同じサイズで直角に切りそろえなければならない。

丸鋸とは、切断面は綺麗に直線になるのだが、部材を直角に切るよう操作するのはユーザーに任されている。以前簡単な直角ガイドを作ったのだが、それでも部材を入れ替えるたびに位置合わせをするのが大変で、切るときは数秒だが、位置合わせに5分くらいかかってしまう。

そこで、1×4材専用ではあるが、すぐ台に固定できて、丸鋸の位置調整が迅速にできるようガイドを作った。

横から差し込んで切削線に合わせれば良いように工夫、だいぶ位置合わせが楽になった。位置合わせに要する時間は1分くらい。ガイドは固定できるので両手で作業できる。切るたびに長さと直角をチェックしていったが、ほぼ0.3㎜以内で正確に出来た。

それでも連続して24枚となると、3時間ほどかかった。110㎝の材料から40㎝の部材を切り出すのに、ネジ穴や曲がったところを避けて2か所ずつ切るので48回ほどになる。

なんとか夕餉の時間帯前に切り出し、騒音で近隣を騒がせるのは避けられた。明日は3枚ずつで側面を組み、底板はゴミ箱の場合薄いので、外からネジで留める。

進行具合を依頼者に報告したら、重くなりそうだとの事でキャスターも付けてくれとリクエストあり。これは家に在庫がないので、購入だ。

久しぶりに工作開始

避暑地の設定に大枠見通しがついたので、友人からの宿題である、石油ポンプ入れとゴミ箱の製作に取り掛かる。

まずは設計だ。外側内側の高さと内径に指示があったため、それに沿って材料の配置を考える。材料的には家に在庫の多い1×4材を中心として、一部寸法合わせのために他の材料を混合する。

幅が9㎝しかない1×4材で底と側面を埋めようとすると、ゴミ箱が同型2個なので、1×4材だけで30本を超える。これを指定の長さにカットしていかなければならない。

また、側板を横並びに接合するためには、補助として薄い板を内張として使わなければならない。薄板は在庫があまりないので、有効に切り、数を確保する。
設計が一日かかり、材料の在庫があるか確認する。1×4材は長いものをほぼ使い切ることになりそうだ。2階建てのクローゼットを1階分解体したので、なんとか確保できた。

不器用な俺だが、今回の完成品は友人の部屋の中に置くものなので、斜めや不揃いになっているとみっともない。自分用だったらエイヤと作って目をつぶれば良いが、そうもいかない。

幅9㎝くらいの木材だったら手鋸で切っていくのが常だが、今回は30本もある。しかも中古なので端に木ネジの穴が残っている。各々の両端を切り落として、等長で直角に切らないといけない。なので、以前作成した直角丸鋸ガイドを利用して丸鋸で切っていくことにする。

そして製作開始、まずはポンプ入れで経験を積んでから、ゴミ箱2個だ。と、始めたのはいいが、等長に切るという事からつまずいた。2本きっちり同じ長さに切ったが、予定サイズより2㎜ほど短い。未だに丸鋸の目印と歯の厚さによる誤差を頭に入れていない失敗だ。材料は予備がないので、仕方なく同じ長さで少し短く切る。

色々試行錯誤して誤差の無いよう慎重に進めた結果、ポンプ入れの底2枚と側板4枚で暗くなってしまった。丸鋸は騒がしいので、夕食時を避けて明日に順延することにした。(疲れたのも大きい)

そんなこんなで紆余曲折なのだが、家の中の片づけや掃除、不用品の処分選定より、作ることの方がよほど楽しい。完成まで何日かかるかわからないが、楽しんでいこう。

7月の予定はまだまだ未定だが、21日に帯広空港から羽田に帰る便は予約。e-bikeは飛行機に積載不可(リチウムイオンバッテリーが容量超過)のため、前日に陸送を依頼。

帰りの見通しはついたが、行きは宿泊場所が少なく、経路未定。これから少しづつ考えて行こう。

避暑の計画

古い木造家屋は断熱が行き届いていない。6月と言うのに昼は28℃などになるので、家族構成を考えると嫁と俺の2人だけ、夏は1階に避暑に行くことにした。

そのためにはより一層の家財整理をしなければならない。

キャンプ道具が40年分たまってしまっているので、中古キャンプ用品買取サイトに連絡し、配送用段ボールを請求。最大の箱2個に詰めて送り返す。査定がゼロでも、10年以上使わないものはおいていてもしょうがない。粗大ごみに出すと有料なので、それよりマシか。

息子の車用品も、写真を送って査定してもらったが、総額¥2000程度。しかもこれだと出張買取は出来ないとの事。格安レンタカーで持ち込むしかない。タイヤはまず値が付かないので、諦め処分代を払う。差し引き赤字か。でも家の空間が空くならそれの方が良い。

自動車用品買取サイトで気づいたが、自転車も買い取るとの事。我が家には嫁の買い物用ママチャリ以外に俺用のスポーツサイクルが3台ある。ここ1年以上最新のe-bikeしか乗っていない。これも空間を圧迫するので、処分することにした。

1台は東北でサイクリングに復帰したときなんとか安く組めないかと思案したマウンテンバイクの変形。

フレームは¥19800だったが、フレームにロードバイクの車輪が入る余裕があったので、細いタイヤを入れてクロスバイク風にしたもの。これで東北赴任時代、通勤にも使ったし、東北のいくつものランに参加した。ブログの画像になっているのもこれに乗ってツールド三陸を走っている姿だ。思い出深いが、もう乗る機会がないので。

次の1台は、前の黒い車体がマウンテンバイクのため鉄でどうしても重く、軽いカーボンフレームにあこがれてオークションで手に入れたもの。通販で部品をコツコツ集め、苦労して組み上げた品である。サイドバッグを付けてキャンプなどしながら九州一周もこれで完走した。

それぞれに深い思い出があるが、占有空間と思い出を秤にかけると、空間を空けるのが優先した。これからも数々の思い出を切り捨てて行くことと思う。

自転車が無くなれば、1階の六畳間がかなり有効な空間となる。手製のクローゼットを半分解体し、寝る場所を確保。キャンプマットを敷いて、暑い時期の避暑地に改造する。

まだ段ボールの空き箱とか端材の木材が山積みだが、少なくとも寝る1畳分の床は確保できた。PCとテレビは引っ越さず、2代目のノートPCとWifiで2階にあるブルーレイレコーダーとつなぐタブレットで情報確保。


冬は超寒い北側の一階だが、果たして猛暑をしのげるか。それより耐震的に一番弱いこの部屋は真っ先につぶれると診断が出ている。直下型が来ないことを祈るのみ。

 

旅の片づけ

脚の痛みも治まった。多分ペダルの幅が狭く、足裏に載せている部分が不均一で骨及び筋肉に負担がきたと思われる。

自分への土産は2点。いつものタオルハンカチと自衛隊の糧食だ。

父の自衛隊時代は糧食はレトルトなどと言うものはなく、白飯も含め全て缶詰であった。家にもいくつかあり、アーミーグリーン一色なのを覚えている。もちろんその頃プルトップ缶などではなく、缶切りが必要だった。味は覚えていないが、たぶん特別旨いと感じるほどの事は無かったろう。野外訓練時には空腹なので、特別旨く感じたのではないか。

テントや寝袋などを乾燥させたあと、自転車の補修に取り掛かる。

メータユニットは交換可能なようだが、交換する際のケーブルがどこで接続されているか不明だ。推測でバッテリー収納箇所の奥にあると考え、蓋を分解する。

配線を引っ張り出そうとするが、奥にあって出せない。しばらく悩んだ結果、フレームに配線が入り込む箇所に蓋があってネジで留められている。開けるとコネクタがあった。そうだよな、メータだけ交換するのにいちいちバッテリーの箇所を外すのでは整備性が悪すぎる。遠回りしたが、自分での交換に目途がついた。後はメータの入荷(最大1か月)を待つばかりである。

苦労して外したバッテリーの蓋だが、元通り組み立てたのに、バッテリーが端子にぶつかって入らない。原因が解らず、3回分解組み立てをしたが同じ結果。次の日まで持ち越し。

翌日冷静になってネジ止め箇所を見ると、ネジ穴が若干スライドするようにできている。恐らくは振動でバッテリー保持が緩くなった時に調整するものらしい。

目一杯スライドさせながらネジを締め直すと、ようやく元の様にバッテリーがカチッと収まった。

購入してから1年3か月がたち、積算距離は4000㎞を超えたので、ブレーキパッドを交換しようとした。

ところが前ブレーキを見ると、ディスクブレーキパッドを留めているピンが無くなっている。振動で外れたのだろう。基本パッドはディスクの外側に位置するのでパッドそのものが外れることはないが、命に係わる部品なので、追加購入。応急処置としてボルトナットで留めることにした。



ヤマハは整備は基本的に販売店に依頼しろとの方針なので、自分で整備する際には何とかするしかない。でも基本的には自転車、自分で出来ることはやる。ましてや俺の買った販売店は整備予約ができず、納期も不明。1か月程度待てとのことで困ってしまう。持ち込みにも御徒町まで行かなければならない。この点では近所のあさひで買えば良かったかなあと思う。(3万円位高かったのだが)

他に旅関連で課題が残った。

1.ヘッドライトの点灯確認を容易にする方法。アルミテープはすぐはがれてしまい、使い物にならず。通販で光ファイバーを購入して再度挑戦。

2.泥除けのバンドを留める金具としてクリップを使ったが、上に載せているテントの袋がクリップに当たって細かい穴が空いてしまった。クリップではなくs字形の針金に交換。

3.テント室内を温めようとして炎の調節を誤り、メッシュの内張が溶けて穴が空いた。ナイロンパッチで補修。

4.テールライトの金具を変更しようとしたが、結局輪行の際、邪魔になる位置にしか固定できず、諦めて現状の泥除け上に直す。

5.雨具に関しては、防水スプレーで対処する。高価な雨具を使っても結局蒸れるので無駄。それより濡れても体温を維持できるウール系の衣服を持参することにする。

さて6月は整備や家の片づけ等チョコチョコやりながらおとなしくし、7月の東北北海道へ準備して行こう。

山陽道を行く day9

脚は今日も痛い。リタイアして正解かも。

泊まった広島のホテルは輪行を考慮して駅近くにした。しかし土曜泊なのに¥5000。なぜかと言うと古いのだ。エレベータなしの風呂(うちより狭い)、トイレ共同、和室だった。

でも寝るには十分。とても古い旅館のようだが、綺麗にして快適だった。おかみさんが色々心配してくれ、離れた駐車場に歩いて行き自転車を止めるのはつらいからと建物裏のゴミ置き場を提供してくれた。

新幹線は特大荷物スペースを予約したが、案の定2席分を占有する自転車は新大阪で外人の荷物とバッティング。そもそも予約システムでは2席分の特大荷物スペースを占用できない。警備員と交渉し、出入り口に固定して名古屋と品川で出口と反対側に移動させることで決着した。

東北上越新幹線では通路が広い車両があるのだが、そもそも自転車なんて考えていないので、こちらは我慢するしかない。マイナースポーツなのでしょうがないか。

駅弁はタコ飯。

開けてビックリするほどの物ではないが、まあまあ旨い。

ひかりと有楽町線で自転車の組み立て含め広島駅から自宅まで7時間半。お急ぎの社会人には耐えられない長さだが、ゆっくり文庫本も読めてハイボール2本、うたたねもして楽な帰路だった。

総括:

全走行距離約350㎞。1日平均50㎞で余裕。

瀬戸内海の道は平坦で坂も少なく、主要国道2号線を走らざるを得ないところも多かったが、九州に比べ路側帯も余裕があるところが多く、意外と走りやすかった。

費用は宿6泊キャンプ場2泊平均¥5000。往復交通費約¥20000。食費その他が1日約¥3000。決して車や電車バスの旅と比べて安い方ではないが、それでは体験できない経験ができたと思う。日数があればこそだが。

今回珍しく遺失物はないのだが、もう少しで充電用のカギを無くしかけた。あと雨で転倒した際にメータを破損、走行に支障はないが、表示とマニュアル制御の切り替えができなくなった。純正品しか使えないのでヤマハに注文したら¥16720。まあ体を壊すより交換で済むので良しとしよう。

反省。雨の走行はいくら防水対策をしても体が濡れてしまう。濡れて走行の風を受けると5月と言えど体感温度は10℃以下になる。北海道の雨で身に染みていたが、より一層の防雨防寒対策をせねば。

さて6月はおとなしくして、7月の下北半島、及び北海道南岸に備えよう。

 

 

湿布のせいか、帰京の翌日は回復し、まともに歩けるようになったので、1日三原で停滞しても良かったかなとも思うが、悪化したかも知れないし、健康ならまた機会がある。三原ー下関なら200㎞程度。4日もあれば着くだろう。ついでに関門海峡をトンネルで横断し旧友、後輩と再会する手もある。次回が楽しみだ。

山陽道を行く day8

早起きは予定通り出来た。さあ7時には出発と思い、ベッドから立ち上がると足の小指の付け根の裏側が痛い。右の踵付近は少しずつ痛かったが、それをかばっていたのか、今度は体重をかけるだけで痛む。歩くだけで痛いので、安全を見込んでリタイアすることにする。しかし広島まであと1日の行程、呉まで走って輪行に切り替え、広島のホテル着の予定だったので、ホテルを予約してしまった。

悩んだが、広島では朝からフェリーに乗って江田島を走り、旧海軍兵学校を訪れる予定だったので、それまでは実行したかった。

三原はこだまが停車する駅なので、新幹線で広島まで移動し、足の裏に負担の軽いレンタカーで江田島を回ることにした。

原城小早川隆景が沿岸の小島を繋げて築城し、毛利家の中国統一に寄与した城である。何と山陽本線を作る時に城の真ん中を線路が通り、天守跡は解体されてしまったそうだ。しかし、石垣と堀は残してくれた。北口にその面影が残っている。小早川隆景NHK大河ドラマに採用する運動をしているらしいが、1年間持たせられるほどのドラマに出来るかな。

こだまで30分ほど、広島に到着。自転車を引きずりながらレンタカー屋へ。軽自動車に無理やり自転車を載せ、陸路で江田島へ。

目の前の島だが大回りなので呉経由で1時間40分かかる。旧海軍兵学校兵舎は休日は1日4回公開しているが、1時30分の30分前に受付をしないといけない。結構飛ばした。音戸第二大橋を渡る。天気が良いだけに、自転車で行けず残念だ。

次の早瀬大橋も大型船が通行できるため、かなり大掛かりな橋だ。

早めに行ったため、見学者の定員内で受付完了。旧海軍兵学校の敷地は海上自衛隊教育機関として使用されているので、観光地ではないので短パンタンクトップは不可らしい。

ここへなぜ来たかったかと言うには理由がある。実父が海軍兵学校の出身で、その後海軍士官として飛行艇の操縦士をしていたからである。父の出身校を一目見たかったのだ。建物はいくつかを残し建て替えられてしまったが、明治から残る建物も幾つかある。これもその一つで講堂となっていて、卒業式はこの中で行われる。父も名を呼ばれ、返事をしたはずだ。

内部は千数百人が一堂に会する広さ。

こちらの入り口は皇族しか使えない。学生等一般人は反対側から出入りする。

自習室として使われていた学舎。左右の長さは140mある。

左右の廊下は見通しでき、圧巻だ。

ちなみに戦艦大和はこの倍の長さがある。途方もない巨大な船だったのだ。

中庭には歌に歌われた「同期の桜」がある。

大和の主砲に使う(予定だった)砲弾。俺の背の高さほどもある。射程は40㎞。大泉学園から両国まで飛んでいく。日本が負けない気もしたのもむべなるかな。

真珠湾攻撃にも使われた特殊潜航艇。こんなに狭いのかと驚いた。

対して魚雷は意外にも巨大。これは恐ろしい。

戦艦陸奥の砲塔が残されている。近くまで行けないが陸奥でこうだから大和はもっと巨大なのだろう。

最後のハイライトは資料館。米軍に接収されるのを恐れ約3万点が処分されたが、残された1万6千点が保存されている。この室内だけは撮影禁止。

山本五十六、イギリスネルソン提督の遺髪など、明治に開校してからの数々の貴重な品が展示されていた。昭和天皇が後に訪れた際には靴を脱いで拝謁したという。

自由見学時間であったが、関係者という事で呼ばれ、兵学校の卒業アルバムを見せていただいた。氏名を伝えると父は65期という事が解った。そして申し込みをすると無料で卒業写真を自宅に郵送してくれるとのこと。しかも数十人の団体写真に矢印を付けてこれが君の父だと示してくれるそうだ。何と粋な計らい。

徒歩1時間半だったが、父の青年時代を少しだけ味わえた気がする。説明者は何でも知っていて、父が熊本濟々黌出身と聞くと、先輩の大佐の説明も詳しく教えてくれた。彼は東京裁判で有罪となり、銃殺されたそうだが。

江田島に来て良かった。大変な責任を背負ってその時代を生き、人も殺し仲間も多数殺されたが、苦難の時代を生き残り、俺がいる。もう戦争は起きないで欲しいと切に願う。

 

レンタカー返却のため広島に戻らなければならないのだが、せっかく呉を通るので、既に行った大和ミュージアムの隣にある「鉄のくじら館」に寄りたかった。

これは海上自衛隊の広報施設で実際の潜水艦が鎮座している。潜水艦内部は国家機密でここでしか内部を見られない。父も潜水艦に乗船したが、かなり狭い空間だったと言っていた。

もう相当前の型の潜水艦だが、内部はやはり撮影禁止。でもその狭さは実感できた。館長室のみ個室だが、それでも2畳程度の狭い空間だ。閉所恐怖症の俺にはこれで1か月以上航海するなんて考えられない。父は最後に引き出しに残った新鮮な空気が貴重だったと言っていた。

レンタカーを返却し、あとはゆっくり寝るだけ。夕食は広島焼きにする。駅の構内には行列のできるお好み焼き屋が多数あったが、ちょっと離れた小さい店にした。ほぼ飲み屋でつまみに出している感じ。

ボリュームはあったが、キャベツが多くてイマイチ。呑み助の楽しい会話が聞けたのでまあいい。大阪から自転車で来たというと、頑張ってねとかっぱえびせんを一袋サービスしてくれた。

明日は電車で帰るだけ。ジパング倶楽部はのぞみだと割引にならないのでさくらとひかりを乗り継ぐ。3割引のかわりに広島から東京まで約5時間かかる。いや俺そんなに急いでいないので、安い方が良いよ。文庫本も厚めのものがあるし。