2番目の映画ロケ地はすぐ近くにあった。「ドライブマイカー」の主人公が運転手に会うところ、広島国際会議場である。
丹下健三の作ではあるが、建物そのものは歴史的価値は別として面白くない。ただ映画のシーンとしては印象的で、好きなシーンだ。岡本太郎に万博で太陽の塔により屋根に穴を開けられたのも丹下だ。
ちょっと呉への到着時間が心配になってきたが、ぜひ行きたかったのが広島市環境局中工場。無料で見学できるのだが、突堤の先端にあり、呉へ直行するには回り道となる。俺は未来的な風景が好きで、この工場のシーンがどこだったか忘れたが、とても印象に残っている。
デッキに設置されたフレームがまるで額縁のようだ。来て良かった。
さて、今回の広島行きの本来の目的である呉市の大和ミュージアムに向けて出発。大都市の国道の通例でつまらない道が続く。腕の痛みを避けるためには高低差のない沿岸の国道しかない。
しばらくして市街地を抜けると海沿いに出た。天候は曇り。恐ろしく寒いが、海を見ると元気が出る。閉館時間が決まっているので、普段の1.5倍の時速15kmで走る必要がある。休憩1回で30kmを走り切った。
呉市内に入り、スマホを見ると電池切れになっていた。呉駅は?大和ミュージアムは?わからんが中心地にあるらしいので、メーターのGPSマップを頼りに走る。
あった。大和ミュージアム。さすが呉の目玉だ。大きい。
ちょっと時間に余裕ができたので、先に閉まる元海軍長官の宿舎、入船山公園に行く。
東郷平八郎も一時期住んだという西洋風の建物。外観と正面、客間は豪華だが、奥川の居室は極めて質素で明治の日本家屋風である。財閥の邸宅のように隅から隅まで豪華ではなく、公務員の質素な佇まいを見せる。父も帯広、熊本、市ヶ谷で自衛隊長官を務めたが、官舎は下士官と同じ木造平屋の質素なものだった。(ジープで送迎はあったが)
さすがに明治時代の海軍司令長官は来客も多かったろう。玄関、食堂などは豪華でステンドグラスなど入っている。
閉館の17:00まで見学し、自転車ですぐ近くの大和ミュージアムへ。
ここへ来たのは小学校の同級生Y君の父が特別展で展示されていて、招待券を貰ったからである。
乗員3千名のうち、1割しか生還しなかった大和。銀行員でありながら、記録に残し、GHQの発禁にもめげず刊行した「戦艦大和ノ最期」。俺の父は海軍航空隊の少佐ではあったが、戦後は大阪の母の実家に間借りし、造花等を作りながら生活をしのび、警察予備隊から自衛隊に入った。それぞれの道ではあるが、父がいたからこそ彼も私も生を受けたのだ。戦争の多くを伝え聞いてはいないが、やはりこの年になってやっと触れてみたくなった。
常設展で圧巻なのは、やはり1/10スケールの大和である。完成時にはすでに航空機時代に代わっていたが、それでもこの実物があると負けない気がして戦術を誤ったのではないかという気もする。
ミュージアムショップではタオルハンカチと決めている。残念ながら大和の柄はなし。
閉館時間になったので、呉駅前のホテルに向かう。
清潔そうで新しいホテル。だが駐輪場はと聞くと、駐輪場はありません、200m先の駅の駐輪場に停めてとのこと。余りに寒いので自転車を袋に入れるのに二重扉の中間で作業させてもらえないかと頼むと、敷地内は厳禁です、外でやってください、だ。ルールはわかるが、少しだけ優しさを見せろよ。とびしま海道も近いのに、自転車に冷たいなあ。内装がボロでも暖かく迎えてくれるホテルは数多くあるのだが、呉で全国旅行支援クーポンが使えて1万円以下のホテルがなかったので、仕方ない。ハイボールとハッピーターン消化して早く寝よう。
デスクライトと鏡で初めて気づいたのだが、頭頂部付近の髪が金色っぽい。これから金銀髪になるとおもしろいなぁ。
3に続く