ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

山陽道を行く day8

早起きは予定通り出来た。さあ7時には出発と思い、ベッドから立ち上がると足の小指の付け根の裏側が痛い。右の踵付近は少しずつ痛かったが、それをかばっていたのか、今度は体重をかけるだけで痛む。歩くだけで痛いので、安全を見込んでリタイアすることにする。しかし広島まであと1日の行程、呉まで走って輪行に切り替え、広島のホテル着の予定だったので、ホテルを予約してしまった。

悩んだが、広島では朝からフェリーに乗って江田島を走り、旧海軍兵学校を訪れる予定だったので、それまでは実行したかった。

三原はこだまが停車する駅なので、新幹線で広島まで移動し、足の裏に負担の軽いレンタカーで江田島を回ることにした。

原城小早川隆景が沿岸の小島を繋げて築城し、毛利家の中国統一に寄与した城である。何と山陽本線を作る時に城の真ん中を線路が通り、天守跡は解体されてしまったそうだ。しかし、石垣と堀は残してくれた。北口にその面影が残っている。小早川隆景NHK大河ドラマに採用する運動をしているらしいが、1年間持たせられるほどのドラマに出来るかな。

こだまで30分ほど、広島に到着。自転車を引きずりながらレンタカー屋へ。軽自動車に無理やり自転車を載せ、陸路で江田島へ。

目の前の島だが大回りなので呉経由で1時間40分かかる。旧海軍兵学校兵舎は休日は1日4回公開しているが、1時30分の30分前に受付をしないといけない。結構飛ばした。音戸第二大橋を渡る。天気が良いだけに、自転車で行けず残念だ。

次の早瀬大橋も大型船が通行できるため、かなり大掛かりな橋だ。

早めに行ったため、見学者の定員内で受付完了。旧海軍兵学校の敷地は海上自衛隊教育機関として使用されているので、観光地ではないので短パンタンクトップは不可らしい。

ここへなぜ来たかったかと言うには理由がある。実父が海軍兵学校の出身で、その後海軍士官として飛行艇の操縦士をしていたからである。父の出身校を一目見たかったのだ。建物はいくつかを残し建て替えられてしまったが、明治から残る建物も幾つかある。これもその一つで講堂となっていて、卒業式はこの中で行われる。父も名を呼ばれ、返事をしたはずだ。

内部は千数百人が一堂に会する広さ。

こちらの入り口は皇族しか使えない。学生等一般人は反対側から出入りする。

自習室として使われていた学舎。左右の長さは140mある。

左右の廊下は見通しでき、圧巻だ。

ちなみに戦艦大和はこの倍の長さがある。途方もない巨大な船だったのだ。

中庭には歌に歌われた「同期の桜」がある。

大和の主砲に使う(予定だった)砲弾。俺の背の高さほどもある。射程は40㎞。大泉学園から両国まで飛んでいく。日本が負けない気もしたのもむべなるかな。

真珠湾攻撃にも使われた特殊潜航艇。こんなに狭いのかと驚いた。

対して魚雷は意外にも巨大。これは恐ろしい。

戦艦陸奥の砲塔が残されている。近くまで行けないが陸奥でこうだから大和はもっと巨大なのだろう。

最後のハイライトは資料館。米軍に接収されるのを恐れ約3万点が処分されたが、残された1万6千点が保存されている。この室内だけは撮影禁止。

山本五十六、イギリスネルソン提督の遺髪など、明治に開校してからの数々の貴重な品が展示されていた。昭和天皇が後に訪れた際には靴を脱いで拝謁したという。

自由見学時間であったが、関係者という事で呼ばれ、兵学校の卒業アルバムを見せていただいた。氏名を伝えると父は65期という事が解った。そして申し込みをすると無料で卒業写真を自宅に郵送してくれるとのこと。しかも数十人の団体写真に矢印を付けてこれが君の父だと示してくれるそうだ。何と粋な計らい。

徒歩1時間半だったが、父の青年時代を少しだけ味わえた気がする。説明者は何でも知っていて、父が熊本濟々黌出身と聞くと、先輩の大佐の説明も詳しく教えてくれた。彼は東京裁判で有罪となり、銃殺されたそうだが。

江田島に来て良かった。大変な責任を背負ってその時代を生き、人も殺し仲間も多数殺されたが、苦難の時代を生き残り、俺がいる。もう戦争は起きないで欲しいと切に願う。

 

レンタカー返却のため広島に戻らなければならないのだが、せっかく呉を通るので、既に行った大和ミュージアムの隣にある「鉄のくじら館」に寄りたかった。

これは海上自衛隊の広報施設で実際の潜水艦が鎮座している。潜水艦内部は国家機密でここでしか内部を見られない。父も潜水艦に乗船したが、かなり狭い空間だったと言っていた。

もう相当前の型の潜水艦だが、内部はやはり撮影禁止。でもその狭さは実感できた。館長室のみ個室だが、それでも2畳程度の狭い空間だ。閉所恐怖症の俺にはこれで1か月以上航海するなんて考えられない。父は最後に引き出しに残った新鮮な空気が貴重だったと言っていた。

レンタカーを返却し、あとはゆっくり寝るだけ。夕食は広島焼きにする。駅の構内には行列のできるお好み焼き屋が多数あったが、ちょっと離れた小さい店にした。ほぼ飲み屋でつまみに出している感じ。

ボリュームはあったが、キャベツが多くてイマイチ。呑み助の楽しい会話が聞けたのでまあいい。大阪から自転車で来たというと、頑張ってねとかっぱえびせんを一袋サービスしてくれた。

明日は電車で帰るだけ。ジパング倶楽部はのぞみだと割引にならないのでさくらとひかりを乗り継ぐ。3割引のかわりに広島から東京まで約5時間かかる。いや俺そんなに急いでいないので、安い方が良いよ。文庫本も厚めのものがあるし。