ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

卒業アルバムのデジタル化

一昨日の友人の葬儀の際に他の友人に借りてきたものがある。自分の高校の卒業アルバムだ。転勤で引っ越しを重ねるうち、自分の分は紛失してしまったが、ぜひ保存しておきたかったのだ。

複製すためまず手法を考える。一度きりならば外注してDVDに焼いてくれるサービスがあるが、他の写真もそのうち複写したい。フラットベッドスキャナーを一時期所有していたが、捨ててしまった。再購入するにも原版の大きさがA4を超えていると高価である。しかも高精細でスキャンするため、1枚の取り込みに1分を超えるなど時間がかかるのが難点。

どうしようかと悩んでいるうちに、うちにまだ保存しているものを思い出した。デジタル一眼レフカメラと、写真印画作成時に使用する引き伸ばし機のアームである。

元々は高校時代家でネガを現像し、それを印画紙に焼き付ける際の引き伸ばし機であったが、台座部分は廃棄したので、アームだけが残っていた。しかも取り付け部分はカメラの三脚ねじと同じ規格なので、台座をつければ複写台としても使用できる。アルバムのサイズは変形なので、カメラの縦横比とは異なるが、カメラを原稿に平行に保持できるので、原稿をしっかり固定できれば複写作業はそれほど苦にならない。

問題は原稿を固定する台である。アルバムは製本された状態なのでページをめくるたびに原稿の厚さが変わってくる。しかも見開きページもあるため、開いた状態でページが左右水平になるよう高さを調節したい。

パンタグラフ式の可動台座などを検討したが、せいぜい数十ページのアルバムのために精巧な工作をするのも嫌になり、数枚の紙をページをめくるごとに増減し、水平な台とアルバムの間に挟むことで見開き面が水平になるよう調節することにした。表面の抑えは昔棚で使っていたお古の透明ガラスで押さえることにする。

材料を買いに行く。台座としての化粧板。アルバムがずれないための枠用のプラスチック平棒。ページの段差を解消するためのメモ用紙。メモ用紙を数枚づつ綴じてめくりやすくするホチキス。ちなみに今日の夕食野菜炒めは関係ないが。ちょっと塩味が効きすぎた。

もう一つ大事なものが必要だ。複写台には補助光源が必須だ。左右から同じ明るさのライトを当てないと明るさが均一にならない。できるだけ細長く、光量の高いものが望ましい。Amazonで探すことにする。

明日は台座及び枠の組み立てと光源なしでの撮影テストを試みてみよう。日本シリーズが佳境なので、今日はここまで。

ベッド3.2

ちょっとだけ進捗。

頭側(車両後部)の板との接続箇所を調整して、全体の高さを確認することに。

全部外して作業台に固定、着脱可の蝶番を移動させ今回作った足側の板の中央から左右均等に接続できるよう付け替え、全体で身長より長く接続したベッド形態になった。

車内に設置してみて水平度を確認してみる。

頭側を約3.5cm高くすると、水平に近くなることが判った。理想的には頭側をあと3cm高くすれば高さは完全に水平になるが、起き上がった時に天井に頭がぶつかる。もうこの位でも十分ベッドとして機能するので、これで高さを決め、頭側を固定することにする。決めたら夕食の時間となった。ここまで1時間程度。なぜ遅くなったかと言うと昨日イベントがあったからである。

昨日アップした集合写真の右端に写っていたI君が亡くなり、昨日夕方通夜に行った。高校の友人である。常に一緒に行動していたわけではないが、共用の部室で常に顔を合わせていら。優しく、時には鋭い目で常に気になる存在だった。

通夜がお開きになり、解散しようとすると、一人の友人(T君、昨日の白黒写真の左側)が、俺今日家に帰れないと言い出した。全く朝からわかっていた事なのに今頃言い出すとは、彼らしい。皆躊躇する中、自分の家が4部屋あるが今は2人で済んでいることを思い出し、彼の引き取りを決める。もう一人の自宅近くの友人O君に車で送ってもらい、自宅へ。同居の息子に伝えて居間を開けさせ、布団を敷く。この友人とは考えてみると高校時代を通じても1対1で話す機会はなかった。話題も豊富で、多岐にわたり聞いても飽きることがない。結局深夜まで話し込み、翌日俺が送ることになった。

本来なら練馬美術館に行き、マネ展を見たかったが月曜のため休み、彼の施設(神経系の病気と家庭の事情で入っている)の近く、高校時代の彼の美術部の先輩が設計した世田谷美術館を外側から眺めることにした。

世田谷区砧公園の中にある美術館はクラシックな佇まいで落ち着きのある外観だった。

俺の母校農大正門前のロイヤルホストで食事を御馳走する。

自律神経失調、DV、自己破産も経験し、それでも復調を目指し、かなり回復しているからすごい。美大を卒業しているのはもちろんだが、絵がうまく高校時代は「巨匠」と呼ばれていた。今もデジタル上で数々の作品をアップし続けている。俳句も秀逸だ。話はデジタルから友人たち、自分の身の上まで多岐にわたって飽きることがなかった。

世田谷の施設まで送って行き、別れた。また元気で会おう。

そんなわけで帰宅したのが今日の午後3時ころとなり、工作開始が遅くなった。とても楽しかったから、良しである。

明日はベッドの高さを調整してひと段落。腕も心なしか少し回復。月末までには何とかならんものか。

ベッド3.1

ベッドの材料は揃った。加工と組み立てにかかる。

今回は少し見た目を気にするようにした。合板は切り出した面が層になっているため、ぶつかると剥がれてくる可能性がある。木口を固めるのに色々検索したが、木口用テープ、ニスやパテなど時間とお金のかかる手法ばかり。簡単にするため、手持ちの木工用ボンドで固めることにした。

最初は白いが、乾くと透明になるため、不器用な俺にうってつけである。

折れ曲がる個所に補助の木材を取り付け、補強兼角度決め用とする。

そのあとは時間がかかったが、コンソールにぶつかる部分の切り欠きや、折りたたむ際の蝶番やその補強などの取り付けでまる1日。

腰に当たる部分は凸型に折れて畳み、足先に当たる部分は畳んだ時凹型に、広げて270度回転させ助手席の床からの脚とする。

広げるとベッドになった。腰の部分の接合部は体重がモロにかかるため、2×4材で頑丈に止める。ver.2ではこの部分の蝶番を留めているネジが緩んできたので。

次は車内に設置してみて高さを決める。凡そは試作時点で決めているが、助手席シートの背もたれ部分の突起が邪魔になり、高さを低くできない。かといって余裕のある高さまで持ち上げると、ベッドから起き上がった時に天井に頭が着いてしまう。座高91㎝の悩みどころだ。

高さ決定とトランク部分の既存のベッド板との接合は明日に持ち越し、今日は所用で出かけるので、ここまで。

全く関係ないが、今日見つけた写真。時効で肖像権は問題ないと思う。関係者だけわかれば良い。



死について

最近はあまり考えることが少なかったように思う。だが友人の訃報を聞き、再び意識し始めたのか、夢に亡くなった両親が出てくるなどの過去の感情が現れるようになった。

小学5年頃、自分が死ぬのがとても恐ろしかった時期がある。自分がこの世から永遠にいなくなってしまうのが怖くて夜寝付けなかったことが何度もある。

人生の終盤に差し掛かった今、自分の存在がこの世から消えてしまうことに怖さはない。大病を患ったことで幸い死と密接に向き合った事もないし、守るべき家系の伝統もない。達成しなければ公開する偉業もあるわけではない。(沿岸日本自転車一周は趣味の範囲であって偉業ではない)俺が生きていた証しなど10年もすれば無くなってしまうだろう。親族や友人の記憶には残っているかもしれないが、それさえ30年も経てばその人誰?という事になるだろう。

死ぬのは不便だ。やりたい事ができなくなるから。だが最も不便なのはやりたいことを思っているのにそれができないと自覚する期間だ。脚が動かなくなったら、目が見えなくなったら。その方が死ぬよりずっと苦しい。俺はもし失明したら、自殺するかも知れないほど恐怖だ。

認知症は本人にとっては天国だ。何も悩む必要はない。介護する側は地獄だろう。家族その他の人のため、そうならないよう努力はするが、なってしまったら本人は悩みなどないので、なることに恐れはない。

自分が家族又は他人に負担をかけることにはできるだけ準備してきたつもりだ。火災保険は自分の家は再建できないまでも隣家の被害には対応する保険に入り、認知症になった時に一時金数百万円が出る保険にも入った。(財産が残せる人はそれでOKなのだが、こちとらそんな財源はないので)家族にとって一番負担が少ないのは自転車で車にはねられ、多額の保険金で家族に遺産が残るケースだろう。本人は一時痛いけど。

旧姓の山内家は私らの代で断絶する。父が言っていた。俺が養子に行く時に本心かは分からないが、この世のどこかで血筋を受け継ぐ人がいればいいと言ってくれた。姓など少子化の日本、無くなる姓は数多くある。元々江戸時代は姓などなかったのだから。(一説によると、土佐の山内容堂の家系かも知れないと聞いたことはあるが、真偽は定かではない)養子に入った牛山家は今のところ存続するらしいが、どうでも良い。

今までの葬儀で一番印象に残っているのは実父の葬儀だ。無宗教でとの遺言があり、イベントスペースに父の好きだったゴルフクラブと釣り竿が飾られ、音楽は彼の好きだった(とその時まで知らなかった、海軍時代に船上で聞いていたらしい)美しく青きドナウが流れていた。親族を代表してお別れを述べたのは俺。18歳くらいの時に唯一父に殴られた思い出を披露し、世界で一番尊敬するのは父だと告白した。わけのわからん坊さんの読経よりよほど胸に響いた。自分の葬儀はやらんでもいいが、こんなお別れ式は素敵なので許そう。そのためには選曲しとかなきゃな。

さて、惜別の思いを込めて友人の通夜には参列しよう。ただ正直言って本人及び家族に非常に失礼ながら、葬儀を通じて同窓会の体になることを期待している事も否めない。実父は90代まで生きたので、友人その他関係者の葬儀には晩年は出なくなった。悲しいが再会する知り合いも少なくなり会話も何もできないので虚しいと漏らした。I君、友人はいっぱい来るよ。君の事覚えている人たちばかりだよ。安らかに。

ベッドメイキング開始

腕も少し落ち着いたので(まだ1日のうち3分の1くらいは痛むが)車中泊用ベッドver,3の製作を開始。

大判の板から切り出した方がコスパ的には良いので、1800mm×900mmの合板を購入、ホームセンターで大まかに切ってもらう。自分で切るより直角が出やすいし、切った後の方が車でも運びやすい。4カットで32円。

仮配置するとナビの下のボックスが邪魔してそのままだと入らない。角を自前の丸鋸で切り欠く。(手で切るのはまだ痛くて無理)

さて折りたたんで収納するシミュレーションをしてみると、最後の最前列の折り方がうまく行かない。ここは蝶番を使って270度曲げる必要があるのだが、普通の蝶番だと板そのものが邪魔してうまく曲がってくれない。補助板を付けるなど2時間ほど色々検討したが、うまい方法が思いつかない。

降参して再度ホームセンターに行き、留めるためのネジ穴が折れ点から一番離れているものを見つけ、めどが立った。

折れ点に板を挟み込みながらこの蝶番を使うことで、270度回転が実現する。



関係ないが、めどという用語は国家公務員では頻繁に出てくる。国会中継でも常套句だ。会社で珍しく国交省の直轄業務を請け負った時には、毎回「○○日をめどに」という文句が添えられていた。お上からのお達しではこれは「絶対にこの日までに」という意味である。高圧的に出て自分たちの指示が間違って達成できなかった時に「めど」って言ったじゃん。アクシデントなら仕方なかんべという言い訳とれるというニュアンスなんだよな。首相がこの言葉を使うたびに、予定した日までにできなくても、「めど」だからなあ、とゲンナリしてしまう。

俺の工作はめどが立っただけで、期限はないので念のため。

組み立ては明日以降とする。今回はお古の材料でなく、見た目も綺麗に、そして強度も十分に仕上げたいものだ。寝る場所がグラグラするのは睡眠に差し支えるから。

 

息子と家族会議

と言うより、一方的に要求を突き付けた形になったが。

朝工作の準備をしていると、訪問者が。ヤクルトお姉さんだ。

何でも先週からクレジット支払いが出来なくて困っている。現金払いで買うか確認された。とりあえず代わりに支払ったが、どうなってるんだ、この息子。今までの不満が爆発した。このままではいかん。関係を修正しなければ。

昼に目覚めたようなので、会議を申し込む。居間に座らせ、書き溜めたメモを元に質問、意見を矢継ぎ早にぶつける。

クレジットから引き落としできないって、預金残高はないのか。いくらあるんだ。

今、いくらもらっているのか。住民税は俺に請求が来ているが、給与明細を見せろ。

貯金してるのか、家を出ていくなら今のペースで何か月かかるのか。

一応派遣で働いているが、税金食費携帯代CS受信料そして光熱費食費を親に出してもらっていることを29歳のお前はどう思うか。等々。

その後は要求。

家に住むようになってからした小さな約束を守ること

飯を食った後は炊飯器の保温を切れ。(9月に東北に行っている間、飯は入れたまま延々と保温していたため、中で茶色い干し飯になっていた)

居間で食事後は洗わなくてもいいから流しに持っていけ。(10階に回ぐらい、常にカップラーメンとか包装紙がテーブルに散乱)

居間で寝た後は布団を敷きっぱなしでなく片付けろ。

玄関や駐車場に自分の自動車の部品を置くときは許可をとれ。

帰宅した時は黙って2階に上がるのではなく、ただいまくらい言え。

生活時間帯が違うので、会話ができないから、こんな小さなことからいちいちやり直しである。

最期にお前が守れる約束を箇条書きにして居間のテレビの前に貼れと指示して、今回は終わり。

結局家に出戻ってきてから、一度も生活時間を強要したことがないから、ちょっとした小言を言おうにもメッセージ経由だ。コミュニケーションがない。単なる戸籍の繋がっただけの居候である。家族という感じが全くしない。嫁がいれば潤滑油になるのかもしれないが。

一応思っていることを全部ぶつけたので、買い物に出かけ、帰ってみると、長々とメモがテレビの前に置いてあった。

少しは反省して改善でき、それを継続できればいいなと思っている。

 

右手が

思うように動かないとこんなにやる気が出ないとは思いもしなかった。朝起きた時から肘から薬指にかけて痛みが走る。帰京当初は24時間常に痛かったが、今は治療の甲斐があり、1日の半分は痛みが出ない。それでも何かを始めようとすると億劫でしばし戸惑ってしまう。入院患者もこのような心境か。

気力を振り絞り、車中泊用ベッドの改造に着手する。

まずは材料の選択をするため、車内サイズを再計測。

右手に負担をかけないため、メモもグニャグニャで書く。

仮にL字アングルで仮想の形状をセッティングしてみる。今までより高く設置し、水平なベッド位置を探る。高くしすぎると座高の高い俺は起き上がった時に天井に頭がぶつかる。水平にした上でできるだけ低くする位置を試行錯誤。

前端は折り畳みできる範囲でできるだけ水平に近くなるような高さを計測。

長さと幅は十分ながら高さがネックになりそうだ。厚めのマットを敷くと天井にゴツン。背をかがめながら起き上がるのはつらい姿勢になる。ギリギリの高さを計測し、あとは施工してから調節するしかない。

大まかな設計図ができたので、材料は明日入手するとして、残り物で昼食。昼寝を1時間ほどしてから接骨院へ。

行きつけの接骨院は3代お世話になっている。少年野球の審判時に腰を痛めて以来の付き合い。その時ハリを施術され、行きは杖を突いて20分歩いたが、帰りは杖なしで帰れた、それ以来の付き合い。コスパも良い。今日は電気1時間、マッサージ15分、針15分、テーピングと湿布を貼って1000円。整形外科に行っても2時間待たされた上に湿布を支給されるだけ。レントゲンとMRIが必要な時以外は接骨院にしている。

明日の材料下見は車だが、運転は左手と右足の健康なほうだけでできる。但し材料を運んだり切ったりするのは痛くてできないだろう。だが家に引きこもっていて家事だけをしているのは気が滅入る。食べ歩きもあまり趣味でない。やはり何か作るか、旅に出るかしないと気力が出ない。さて明日の回復具合は?