昨日泊まった旅館は親切だったが、かなり年期が入っていた。壁は穴を紙で塞いでいるし、2階のトイレ大は水洗が故障していてペットボトルの水で流す始末。ヒグマや鹿の剥製のある由緒正しき旅館であった。
濡れた靴を主人が乾かしてくれたが、乾ききらず、ポリ袋を提供してくれた。石油ファンヒーターを一晩中動かしたので、寒くはなく、疲れていたのでぐっすり寝られた。それで十分。
今日は最長距離、厚岸から根室までの予定であるが、膝や太ももが回復しているかが鍵である。
厚岸湾は汽水湖のように海側とは少しだけ接している。その湾の南側、国道から離れて海側を通る。
天気は良く晴れ、昨日の雨がうそのよう。しかし風は冷たい。最初から想定し、ダウンジャケット、ウールの上着、さらにウインドブレーカーを着込む。進むとだんだん釧路の台地と同じ海岸が絶壁、そこからは平原又は森林が続く。メイン国道ではないため、車は5分に1台程度。鹿さん数匹、キタキツネ1匹に出会う。鹿は公園で集会していた。残念ながらヒグマとは挨拶出来ずじまい。
バイク地図でも「快適なコースだが景観は見えない」のとおり、軽いアップダウン、軽いカーブが続き、ほとんど林のなかで、海までは距離があり見えない。
でも時たま沿岸に近くなり、見事な風景が広がる。車やバイクだとつい先を急いで通りすぎてしまうのだが、自転車は急停止、Uターン。
30kmを超えた辺りで急に雲行きが怪しくなり、ポツポツと雨粒が。今日は早めに準備して濡れないぜ。
着替える建物は皆無だったが、林の林道入口に逃げ込んで雨宿りし、万全の体制をとる。
しかし、園芸用手袋とナイロンカバーだけではどんどん手が冷えてくる。どこか暖める空間はないかと探すが、26km先だと。仕方なく凍えて走り続け、この道唯一の観光施設である霧多布湿原を一望できる展望台に着く。ドアの閉まる部屋があり、そこで指を首筋やおでこで必死に暖める。ようやく暖まったら雨は止んでいた。
今後を考える。まだ残りは60km、時刻は13時。膝も太ももも痛い。おまけにサドルの擦れるおまたも痛い。これは完走無理と判断し、日本沿岸のルートが又途切れることになった。しかし体が資本、死ぬまでにまた来れば良い。ゴールを根室から鉄道で1時間手前の浜中駅に設定し、自転車をバラす時間を考え、1時間前の1時50分に設定した。ならばあと20km弱なので、楽勝だ。本当は浜中市出身のモンキーパンチのキャラが霧多布岬周辺にあるのだが、半島まで行って帰らなければならない。もし2時50分の列車に乗り遅れたら次は3時間後である。
浜中駅もモンキーパンチで萌えている。
畑正憲のどうぶつ王国があった浜中町だが、閉鎖されてからその情報はどこにもない。閉鎖されたのは黒歴史になってしまうのか。
余裕で輪行袋及びキャスターにセットできる時間だったが、バラし初めておかしいことに気づく。キャスターを留めるネジ、タイヤをまとめるバンド、ブレーキのダミープレートが見当たらない。どうしよう、釧路で置き去りにしたのか?今さら自走は時間的に無理。バスツアーの女子たちに見守られながら、無理矢理袋に詰め込む。自転車が傷ついても、JRは袋から飛び出ていなければOKを出す。
無人駅なので改札からホームまで2m。キャスターの出る幕はないが、なんとかのせて根室へ。1時間爆睡できた。自走より早めに着いたが、寒さはハンパない。気温でさえ最低2℃最高9℃だったらしい。さらに北風10m。
チェックイン後買い物徘徊。
寒さがハンパないので、ホームセンターで厚目のt3手袋とイヤーバンド。
夕食
に根室のソウルフードであるエスカロップ。隣の市民は全然知らない名物とのこと。60年代はグルメのごちそうだったが、今はカツの乗ったバターライス。店もBGMも60年代風だった。それはそれで良し。
明日は北方四島が行けない間は日本最東端、納沙布岬へ往復する。さて無事に根室まで帰還できるか、はやぶさよりは確率が高いが。