ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

自転車遍歴

について記録しておこう。なぜこんなにも自転車中毒になったのか、自分でも振り返っておきたい。

きっかけは19歳。書店で変な雑誌を見つけた。「ニューサイクリング」訳も分からず手に取ると、表紙に衝撃を覚えた。ROSSINというイタリアンレーサーの拡大写真だ。その美しさに一目ぼれして雑誌を買い、内容を見ると日本人が単身イタリアの老舗メーカーDE ROSAの工房に弟子入りしてロードレーサーのフレームを作っていたという。その仕上げの美しさに圧倒されると同時に、記事に載っている旅を自転車で過ごすというスタイルを始めて知った。だが学生の身分でROSSIN、DEROSAなどは高嶺の花。大卒初任給が7万円の時代に、1台1台手作りのイタリアものだから、50万円から。今も価格はそう変わらないので、相対的にはずいぶん安くなったのだが。

「ニューサイクリング」は価格も高く、厚さも薄かったので毎月は買えず、いつもは自転車雑誌唯一の「サイクルスポーツ」を買っていた。その裏表紙に出していた丸石の黄色いメタリックのスポルティーフにあこがれ、どうしても欲しくて、渋谷の安売り屋に行って自分で組み、当時引っ越したばかりの世田谷まで乗って帰った。

ただ、メンテナンスなど解らず、どう調整したら良いか不明で、サイクルスポーツの広告を頼りに近所の自転車屋さんに行ってみた。そこが上町に今もある名店、「長谷川自転車商会」だった。店主は気さくに話を聞いてくれ、補修用の部品も裏からすぐ探し出し、メンテ完了。大学、自宅、店とすぐ近くにあり、在学中から入り浸って1日中店にいることもしばしばだった。当時はツーリングとして「峠越え」と言うのが一つのスタイルであり、長谷川さんで組んだツーリング車で大弛峠や夜叉神峠、野麦峠や平湯峠などを超えたものである。付き合いは結婚して世田谷を離れるまで10年続く。その間ツーリング車を組み立て、ロードレーサーをオーダーし、一緒に地方をツーリングするなど思い出深い。

阪神大震災の時も関西で自転車に乗っていたのだが、長谷川さんで買った2台の自転車を盗まれてからは、しばらく自転車の無い時代が続く。

長男が大きくなり、小学校を出て乗らなくなったマウンテンバイクもどきを改造して乗っていたこともあるが、熱が再発したのは東日本大震災で単身赴任した時。

住宅事情が改善してきて借家の戸建てに当選した時(共同生活の寮から出られる順番はアミダくじで決めた)あまりに会社に近い(徒歩5分)ので通勤用の社用車を割り当ててもらえなかった。休日に遊びに行きたくても2時間に1本のバスと1日5本の電車である。そこで月1回の帰京時に、自転車を作ることを考えた。格安のマウンテンバイクを改造し、細いホイールを付けて疑似ツーリング車を作った。

単身赴任中に車も買ったが、この自転車で結構東北を走った。岩手大船渡から輪行で一関まで行き、自転車で秋田大曲まで花火を見に走ったこともある。ロングライドに参加するようになったのもこの時期。初めては雫石周辺を走るライドで初めて1日100kmを走ってしまった。

5年の単身赴任期間中にだんだん重い鉄フレームが気になり、次は何とか軽いカーボンフレームを手に入れようと躍起になる。オークションで手に入れたフレームに少しづつパーツを組んでゆき、ついにカーボンレーサーが完成した。

ロングライドはその後も続き、アワイチ(淡路島一周)、ビワイチ(琵琶湖一周)、カスイチ(霞ヶ浦一周)、ハマイチ(浜名湖一周)などを完走。ツールド三陸(年1回陸前高田市で開催)も8回参加している。

このまま続けると思っていたが、昨年の男鹿半島ライドで挫折。代わりに借りたe-bikeの魅力に憑りつかれ、70歳まで我慢しようとしていたe-bikeに手を出してしまった。果たしてこれが終の車か、未知数ではある。