ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

写真の数

って膨大だなと今更ながら痛感した。

今回姉が急死したことを受けて、姉の小冊子をアルバム風に作ろうと思い立ち、写真が残っているか家の押し入れから捜索した。前半アナログ世代なので、捜索は困難を極める。フイルム1本ごとに写真店で提供する紙のアルバムに入れっぱなし、家族や友人からもらったものは、箱にドサッと年代もごちゃ混ぜ。

俺の実家は家族写真を撮るのが習慣だったので、生まれた直後から自分と共に写した写真はわずかに残っている。だが姉は11歳年上なので、俺が北海道にいた小学校低学年のうちに東京の洋裁学校に行ってしまった。従って1960年代から90年代までほぼ写真がない。それ以降デジタル化になり、ある程度残っているものの、パソコンに保存していたデジタルデータは機器の故障で数十ギガが露と消えた。

本当は今日発見した貴重なデータをアップしたいが、俺の基本方針として、本人の承認がない、又は絶対に異議を唱えないと思われる人以外は女性の写真を載せないことにしている。本当は載せたい人は一杯居るのだが。

さて、段ボール数箱に分散した俺のアナログ写真だが、推計4000枚はある。その中から50枚程度は見つけた。いったい人は生涯どのくらい写真に写るのだろう。スマホ時代になると、普通に撮る人でも月50枚、年600枚、人生70年とすると42,000枚になる。動画も数百時間か、相当な量になるだろう。

誰が見るのか、本人か家族が。いつ見るのか。数十年に一回かな。または一生見ることもなく、遺品整理で引き取られていくのだろう。SNSもデータで埋もれていく。

それでも人は写真を撮る。その瞬間が大事だからだ。懐かしい思いを味わいたいからだ。それでよいではないか。今が大切だから、撮っておきたいと思い、それが気軽にできる時代になった、素晴らしい。

ちょっと恥ずかしいが、告白。写真を捜索中、中学時代の初恋の相手から来た手紙が残っていた。胸が締め付けられる。女性の方々からは「まだ取っておいてるの、気持ち悪ーい」と非難が起きそうだ。男なんてこんなもんだ。と書くと同性からも反論が出そうだね。まあいいさ。俺がトキメいた女性はそのほとんどが人知れぬ片思いだし、一線を越えそうになった人は数人しかいないから。