ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

姉の写真集

が完成し、製本が送られてきた。

怠慢のせいで新盆に間に合わず、すまないと思っている。サイズはA5、頁数は144頁、写真は200枚を超える。

香典を渡し、葬儀の際に思い出話にふける親族も直接の面識がない孫たちも、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない。墓参りにご無沙汰している家族も多いだろう。昨今はデジタルデータになったとは言え、改めて故人の生涯を見直す機会はない。それだからこそ、個人写真集の意義がある。いつかは廃棄されるだろうが、本人の同世代、下の世代までは、自分の生きていた時代と重ね合わせて感慨を深くする。それが数十年の間はリピートできるのである。そのくらいがちょうどいい。自分が会話を交わしたこともない先祖の事を知らされても、へえーと感心するくらいが関の山。

11歳年上だった彼女は、私が小学2年の時に自立し、遠く離れて暮らした。ましてやどんな小学生中学生だったかは知る由もない。それでも残されたわずかな写真によって、青春時代を垣間見ることができる。

結婚後は不遇の時代が続く(DVなど)。それでも娘を授かったのは姉にとってとても幸せだったと思う。

その後関西に引っ越した両親と同居し、父母ともに看取ってくれたことは本当に感謝している。父母を看取った後は娘の近所に一人暮らし、ゲートボールを愉しんだり、花の絵を書いて楽しんでいたようである。

紆余曲折はあったと思うが、苦しいときも楽しいときもマイペースを貫いた彼女を尊敬する。巻末には贈る言葉を入れた。

俺も何か作っておくかな、次世代には期待できないし。と思ってブログの印刷サービスがあることを思い出し、調べてみた。価格的にはアルバム作成より安いのだが、残念なことにこのブログサービスではテキストのみの転送ということがわかった。写真も入れ込めるのだが、web上で自分で挿入していく必要がある。アナログ写真→デジタル化よりはよほど楽だが、それでも今まで約2年分のブログに写真を配置することを考えると頭が痛い。

でも今回感じたのだが、印刷物として残すのも悪くない。デジタルデータはそこにアクセスする意思を持たないと永遠に表示されない。印刷物は時として物理的に邪魔になるのだが、常に目に触れ、アクセス制限なしに誰でもふと見ることができる。それまでは一度触れてもらって、各人が何らかを感じてもらい、最後はお棺と一緒に燃やしてもらっても良い。そろそろ9月末でブログを始めて2年になる。自分を見つめ直すためにも一度作ってみるのも手だと思う今日この頃。