ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

心に穴が

開いたようだ。事務処理がおおよそ完了し、あとは納骨(これもお布施と工事で合わせて¥127000かかるが)のみ。

真の一人暮らしが始まった。祭壇が隣の部屋にあり、寝室から出るとすぐに息子の写真と顔を合わせることになる。早く納骨を済ませ、仏壇の中に納まってもらいたいものだ。今の寝室は道路際なので、夜に自転車や車の音が近づくと息子が帰ってきたと反応してしまう。

携帯ばかりで関係方面に連絡を取っていたので、電話代が気になり、窓際でほとんど使っていなかった固定電話とファクスを居間に移動させた。他に誰もいないから、空間は使い放題である。

俺は車を処分し、自宅の駐車場が空いていたので、自転車停め放題だった。だが、彼の駐車場を解約し、ランエボが自宅に入ったので、自転車を自宅から出すときに散水用のタイマーが引っかかって困る。

久しぶりに買い物に行き、ホームセンターで6mのホースとジョイントを入手、タイマーを延長して家の隅に移動させた。

ホームセンターへの裏道、新座墓苑はカエデが紅葉し、美しい。

ここに何千もの人々が祀られているのだなぁ。普段はただの静かな道だと思っていたが、今日は何か感じ方が違う。みんな青空を漂っているのか、それとも西方浄土とやらに行ってしまったのだろうか。

映画「ノマドランド」を見た。夜よく眠れなかったので、ちっとは心の支えになるかと。Nomad Land は放浪者の地という意味である。

主人公は子のいない中年女性。夫を病気で亡くし、地域産業がダメになり、町全体がゴーストタウンと化す。彼女は家を捨て、バン一つに家財道具一切を詰め込んで旅に出る。季節労働をしながらたどり着いたのは、放浪者たちの小さな住まいである車たちが集う高原の真ん中。しばらく滞在し、歌を歌ったり、物々交換をしたり、季節労働をしたり。そして又それぞれ放浪の旅へと向かう。

姉に呼ばれ、久しぶりに小さな町を訪ねた。歓迎され、同居しないかと誘われる。断ると姉に「あんたは昔から一人なのよねぇ」と言われる。(まるで俺の嫁と同じだ)

ノマドランドで彼女は見染められ、故郷に帰ったその男の家に行くと、家族全員で歓迎され、一緒に住もうと誘われる。しかし、彼女は誰にも別れを告げず、再びノマドランドへ向かう。

その土地の主催者が最後に彼女に話す。「俺は息子を亡くした。だから皆のよりどころを作って皆に尽くすことを考えたんだ。」

今は俺の境遇と同じ。だが俺はそんなことは考えていない。また、彼女との境遇とも異なる。俺には帰る家があるし、(今は離れているが)嫁も娘もいる。放浪に出るには中途半端だ。ただ旅に出て帰ってくるだけだ。俺には孤独すぎる旅だ。出来やしない。

ラストで彼女は再び荒野の中をいずこかへ去っていく。

花も嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ。(井伏鱒二訳)

好きな言葉なのだが、俺はここまでは言い切れない。