ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

連日の会議

があり、出かける。

金曜日は元会社の仕事関連、一人は現在も温泉旅行などで交流が続くU3臭いうちの一人U2氏。彼とは岩手の震災復興で初めて同じ現場を担当し、5年間大船渡で暮らした。一緒に会社に寝泊まりしたのも何度もある。最初は社員十数人居た復興事務所も、事業が収束する方向に向かい、一人減り、二人減り、最後は彼があまりに優秀だったため、ただ一人11年間も事務所で頑張り続けた。なぜか気が合うので、俺が退職し彼も転職したが、交流は続いている。

もう一人は俺の退職前最後の担当地区だった組合の女性。発注者と受注者の関係だったが、事業をうまく進めるための調整役として密に連絡を取り合った。こんな資料があると助かるんだけど、とお願いされたり、こちらはもう少し時間を欲しいんだけど何とかならないかな、とお願いできるフレンドリーな関係だった。

その彼女が何とU2氏と同じ職場に転職し、同僚となったという。U2氏の取り計らいで2年ぶりの嬉しい再会となった。

元々性格的に気の合う者同士だから、話ははずみ、仕事の事、元の職場の悪口、現在悩んでいることなど、本音を交流した。久しぶりだけでなく、又定期的に会おうということになった。楽しみである。

本来女性の写真はブログには断ってから載せるのだが、許してくれると甘えて。

U2氏とS嬢。

もうちょっと肩を寄せたかったが遠慮して。

次は4か月先かな。U2氏、よろしく。

土曜日は息子の少年野球コーチの仲間。これも波長の合う人だけの会議だ。

息子が卒業してから18年、未だに声をかけてくれるのがうれしい。

発起人はS氏、一回り年下だが1年だけ監督を務め、旧態以前の少年野球、選手を罵倒する、居残り特訓をする、父母に協力を強制するなどの事はおかしいと感じ、一人チーム改革に奔走した。その時のコーチはなんと俺との2人態勢。スコア付けや審判など大変だったが、よい思い出がたくさんある。

まっすぐな人で、度々人ともぶつかったが、本当に折れない人だ。

もう一人はやはり同時代のコーチH氏、冷静に考える人で、正しいものは正しいと受け入れる柔軟な心を持つ人、一つだけ学年下だが考え方は学ぶものが多い。二人とも学校や会社以外で唯一友人と言える人たちである。

二人とも大泉学園が長かったので、近所や他のコーチのその後など、長く付き合ったのに初めて聞く話も多かった。驚いたのは、(S氏が若いときにはやんちゃだったのは聞いていたが、)H氏もバイクを改造し、つるんでB走していたとのこと。今の温厚な姿からは想像もできなかった。

少年野球チームにコーチとして入ったときは、近所では新参者(引っ越して嫁の実家に来てから10年くらいの時)だった。今まで幾度も転居してきたので、初めて近隣との交流ができてうれしかった。野球はからしきダメだが、審判とスコア付けで協力できると思ったのである。一眼レフで写真も多く撮って感謝された。

でも、大人の交流は難しい。子供の時から地元にいる人達は、少年時代の先輩後輩の関係を未だに引きずり、ずっと大人になってからもふとしたことで「あいつは後輩のくせに生意気だ」などと険悪になる。野球の方針を巡っても対立が深まり、あいつとは飲みに行きたくないなどと言う関係にもなる。それが近所だから、顔を合わせても気まずい関係が続くのだ。めんどくせえなあ。

S氏が恒例の、「カラオケ行こうよー!」との声を振り切って明るいうちに帰宅。明日の朝の仕事に備える。休みの少ない彼の唯一の難点なのだが、まともに付き合うと深夜バスかタクシーで帰宅になってしまうので。

会社員でなくても、付き合ってくれる人達がいるのは心強く、幸せだ。俺もキャンプや野球観戦など、今後も旧交を維持できるよう主催にも取り組んで行くつもりだ。