ushi4026’s blog

旅と自転車、工作を愛する高齢者。あくまで私見ですが。

帰宅して驚愕の事実

帰宅翌日は朝8時に起きた。疲れていたのである。

自転車から帰り際に異音がしていたので、分解し修理を試みている最中に、訪問者があった。息子の会社の人間が2人、訪問。

聞くと、広司(息子の名)が無断欠勤しているという。電話をしたがつながらないし、父親である俺の固定電話、携帯電話も出ないという。(知らない番号は受けなかった)

てっきり出勤しているものと思ったので、改めて広司の部屋を確認に行くと、うつ伏せになって布団に入った状態で冷たくなっていた。

急いで119番し、指示に従い仰向けにさせて(全身硬かったが)心臓マッサージを試みるよう指示されるが、胸の前で両腕を交差させて冷たく硬くなっていて、マッサージどころではなかった。

それから救急隊、地元交番、刑事と延々4時間ほど事情聴取。遺体は検視のため、すぐ警察署に運ばれていった。

朝までに葬儀社を決めろとの警察の指示で、夜中にネットで検索し、電話をしてすぐに翌日担当者と警察署から大塚の東京都監察医務院へ移送後すぐに、葬儀の段取りが始まった。

マクドナルド店内で1時間半、義父の時代からある寺の檀家なので、僧侶の都合を優先して尋ねると、最短で11月24日となり、そこから火葬場、告別式会場の順で予約を入れ、プランを選択。都の検死分も含めて約70万円、プラスお布施となった。

嫁は帯広で働いているので、すぐ帰りたい事情があったが、告別式と火葬立ち合いは残ることになった。

大塚の医務院脇には古い公園があり、紅葉が始まり、青空とのコントラストが美しい。

23日に予定していた東京湾岸を走る自転車ライドのゼッケンが届いていたが、中止。その終了後友人と予定していた羽田空港近くのグループキャンプも中止せざるを得なかった。

結局行政解剖をしても死因は不明、約50日ころ血液や一部組織の検査を経て後日死因を特定するらしい。大幅には苦しまなかった様子ではあったが、死亡推定日時は俺が帰宅する5時間前となっていた。今更だが、1日早く帰宅していたら、何かに気づいたかもしれない。ただ安らかに眠ることを祈るだけだ。

胃の調子が多少低く、消化が進まない。嫁が北海道に帰り、本当の一人暮らしが始まるので、体調には気を付けねば。

告別式には先月入賞したラリーの表彰式の写真を額に入れ展示し、棺に入れよう。

さよなら広司、いつかは別れが来るが、30歳とは、ちょっと早かったな。